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2014年4月24日 (木)

90年代に消えた大阪市電の遺構

前回の投稿で大阪市バスの写真帳を掘り返してみたら、90年代に残っていた市電遺構の写真が出てきたので、スキャンしてみました。

Turumati_1
まずは1990年に撮影の、鶴町営業所構内に残っていた市電軌道。
レールと石畳は残るもののポイントは撤去されていたので、廃止時点での残存区間の予備品にされたと推定。
また、奥の建屋の妻には錆びて読み取れなくなった番線表示が残っているので、建屋も市電時代からのものと判る。
90年代中頃、木津営業所が廃止になった頃に大がかりに構内が改装され、その際にこの遺構も消滅した。

Kasumicho_1Kasumicho_2Kasumicho_3
次は1991年に撮影の、地下鉄動物園前駅すぐ上にあった天王寺車庫/霞町分工場。
大阪球場を移転させるとかイロイロ話があった中で、現フェスティバスゲート建設の話が具体化してきた頃の撮影。
『戦後』の面影を漂わせる、独特の空気感がある建物。

Kasumicho_4
バス操車場側を見ると、舗装の下から顔を見せる石畳とレール。
市電廃止後すぐに、上からアスファルトを被せただけという事がよく判る。

Kasumicho_5Kasumicho_6
構内に残るレールと枕木は市電時代のもの?
枕木の上に並べられた姿は、まるでモニュメントのよう。

Kasumicho_7
右書きのバリケードは、市電の出入りを見ていたんだろうな。

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コメント

うわっ!更新してる(核爆)!
霞町の分工場を棺桶にいれたフェスゲも棺桶に入りましたな!
その後はどうなってるんでしたっけ?

犬おっちゃん、おいでやす。
楠居御大によりますと、見事に更地になったそうで。
普段寄りつく場所ではないので、府内の話を関東の方に教えてもらいました。(苦笑

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